例題1.2

 科学的な現実主義は、(科学的)知識の一般的な理論である。その形式の一つにおいては、科学的な現実主義は、私たちが知識を集約するという活動から世界が独立であることや、科学がそれを探究する最善の方法であること、を仮定する。科学とは予測するだけなのではなく、物事の本質でもあり、形而上学や工学的理論がひとところにまとまったものである、と。


 科学的な現実主義は、科学の発展に大きな影響を及ぼしてきた。別の方法によって得られていた結果を説明する方法としてだけではなく、特殊な問題を解決するための提案や研究に対し(さまざまな)戦略を用意しもした。たとえば、天体の真なる配置を映し出すというコペルニクスの新しい天文学は、聖書の解釈問題と同じくらいダイナミックで方法論的な問題を浮かび上がらせた。彼の考えは、物理学、認識論、研究の重要な境界条件(boundary conditions 限界状況?)であったようなあらゆる理論分野と衝突していた。コペルニクスはこうした問題をつくり出したが、それに対し解決の手がかりを与え、その結果新しい研究の慣例を生み出しもした。19世紀には、原子論が哲学的、物理学的、化学的、そして形而上学的問題を引き起こし、それを誤りだとして放棄しようとする科学者や、事実を整理するための便利な方法として使おうという科学者が多くいた。現実主義者たちは原子論をさらに発展させ、最終的に純粋に現象学的観点には限界があることを示すことができた。量子論に対するアインシュタインの批判は興味深い理論の発展を生み、精緻な実験が量子論の基本的概念を明らかにした。こうしたすべての場合において、科学的現実主義は発見を生み、科学の発展に貢献してきた。


 ごく少数の哲学者だけが、科学的現実主義と科学的実践との実り豊かな相互関係を検証し続けている。科学者と哲学者が異なる事柄に興味を示し、異なる仕方でその問題にアプローチしている、というのがその原因だ。科学者は具体的な問題郡を扱い仮定、理論、世界観、手続きの規則を、問題としている状況に影響を与えるという方法で判断する。その判断は、科学的現実主義のような考え方はある場合には有用だが別の場合には複雑にするだけだ、ということが分かればあるケースから次のケースへと移り変わるだろう。


 哲学者もまた問題を解決することを望んではいるが、その問題はまったく異なる種類の問題なのである。彼らは「合理性」「決定論」「実在」のような抽象的な概念に関心がある。哲学者はそうした概念を精力的に、時には批評精神にのっとって検証するが、その研究の完全な一般性が、特殊な問題、方法、仮定を考慮しなくても、達成された結果をあらゆる主題に負わせる権利を、彼らに与えると信じてもいる。哲学者は、単に一般的な概念の一般的な議論があらゆる特殊な応用を網羅する、と仮定する。


(『演習大学院入試問題』サイエンス社、2002)