"Thomas Ruff 1979 to the Present"

Matthias Winzen(e.d.), Thomas Ruff 1979 to the Present, Verlag der Buchhandlung Walther Konig Koln, 1991
 
トーマス・ルフの写真集。
1991年にドイツ、バーデン・バーデンで行われた展覧会「Thomas Ruff Fotografien 1979-heute」の図録。
 
文字通り、1979年から今までのトーマス・ルフの代表作を集めてある。彼を知らない人に彼の業績を説明するにはなかなか美味しい一冊だ。
 
彼はいくつかのシリーズにまとめて作品を制作する。この本でもそのまとまりごとにある程度の数作品を集めてあるため、変化がよくわかって非常に面白い。巻末にはシリーズの意図も解説してある。
 
個人的に興味があるのは、ヌードのシリーズやミース・ファン・デル・ローエの建築を撮影したもの、そして勿論H&deMの建築の写真などだ。これも詳細な解説があり、興味深い。
というわけで、以下シリーズの概要など少し。
 
 
■■ Zeitungsfotos (Newspaper Photographs)
製作は1990年から1991年。
トーマス・ルフは、自分が興味を惹かれたり、衝撃を受けたり、あるいは奇妙だったりする新聞写真を、2500点以上コレクションしている。コレクションには新聞が網羅するほとんどの分野の写真が含まれており、このシリーズはそのコレクションを元に製作されている。
ルフはコレクションを400点ほどにしぼりこみ、それらを撮影し直して2列に並べ展示した。つまりコレクションはほとんど何の加工もされずそのまま展示されているだけで、一見すると「artistic」な意図はないように見える。
しかし、ルフはここで、もともとその写真が用いられていた文脈から写真そのものを完全に切り離し、1つも説明的なキャプションをつけることなく展示することで、新たな文脈を創出することを試みているのである。
つまり

He settled on this procedure in order to study the 'newspaper photograph' and find out what information is left when the picture is isolated from its function.
(彼は「新聞写真」を研究するのにこうした手続きをとって、写真がその機能するところ(つまりは新聞記事の中)から切り離されると、(もともとそれが持っていた)情報というのは見過ごされるのだと見破ったのだ。)

ということである。
 
 
■■ Herzog & de Meuron
1991年に始まって、現在も継続されているシリーズの1つ。
もともとジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンがベネチアビエンナーレに出品する際に、ルフに自分たちの建築の撮影を依頼したことから始まった。
興味深いのは、すべての写真がルフによって撮影されているわけではないことだ。ルフはバーゼルの写真家に依頼して各地のH&deM建築を撮影してもらい、それをコンピュータで1つの作品としている。
現在は、ご存じのように「エヴァースバルデ高等技術学校図書館」とか「ミュンヘンの商業センター」で、直接建築に関わった活動をしていて、これからどういう風に展開していくのかが非常に楽しみなところ。
 
 
■■ nudes
1999年より。
これは本にもなっている*1有名なシリーズなので、知っている方も多いのではないかと思う。
1998年頃から、ルフはヌード写真を撮り始め、それをコンピュータで加工するということをしていた。その操作対象は、次第にインターネット上に氾濫するヌード写真へと移行する。ウェブに掲載される写真の解像度は非常に荒い。標準は72dpiだ。ルフはそのことと、自分が故意にぼかしたりぼんやりさせたりしてきた写真とをリンクさせて考え始めた。
このヌードのシリーズの写真はみな一様にぼやけている。しかしハッキリ認識はできないもののどうにかそれと判断できる程度のピントの合い方だ。これはルフがコンピュータによって加工しているからなのだが、なぜこのように操作するのかについて彼は語っていない。
単純に考えて、この操作が前述した「Zeitungsfotos」のシリーズに通じる効果を持っていることは間違いがない。つまりある文脈から完全に引き離すことで、それが元々持っていた情報や役割を置き去りにするのだ。
彼の引用する写真はあらゆる分野のポルノ*2を含むが、加工された後の写真には、そうしたポルノの持っていた「あらゆる分野の性的欲求を喚起し満たす」という目的がすっかりとは言わないまでも、薄められて提示されていることは確かだ。
また、

He used fuzziness and other blurring techniques, occasionally modifying the coloring and removing intrusive details. The selection of source picture was based on such considerations as composition, lighting, coloring, or presentation.

と述べているように、それらの写真は色彩の点から見ても非常に統制が取れていて、綺麗だ。
あるいはこうも言えるかもしれない。つまり、ぼやけているが故に非常にいやらしい、と。けれど、これはやはり外れているようにも感じる。このことは非常に個人的感覚だから、同意を求めるものではないけれど、あえて書いておこう。
つまり、パッキリとピントの合ったポルノを見るとき、私は緊張するのだ。それはある個人の見てはいけないものを見てしまった(しかも細部まで念入りに)、という罪悪感、プライバシーを侵害してしまった、という意識に他ならない。ピントのぼけたルフの写真は、その緊張を和らげてくれる。それはそのぼやけたピントの分だけ、私を対象から隔ててくれるものとなる。私は、ルフの写真を前にしてようやく「作品」に対峙することができるのである。たとえばそれを色彩の妙として見たり、人間の肉体の美しさとして見たり、滑稽な場面として笑ったりできるのだ。私はぼけたピントによって、そこに写された「人」から距離を取れるのである。
ルフの「nude」は肉体から見る者を引き離してくれる。見る者は「欲望」に突き動かされることなくクールに、彼の作品を観ることができるだろう。しかしそれは同時に、生々しい現実から一歩引いて、メタな視点から世界を見渡している現在の私たちの態度を思い起こさせもする。彼はどこまでも表面を操作しながら、どこまでも現実と向かい合わせるのだ。

*1:『Nudes』ISBN:3829600410

*2:「ブロンド」「チアリーダー」「ゲイ」「グループ」「アナル」「フェチ」「ハードコア」などなどなど。