パフューム


なんか前からみたいみたいと言っておきながら(しかも完璧な感想が書けるとか豪語しながら)ぜんぜん見ていなかった今作ですが、とりあえず童貞氏が欲望を爆発させたあげくにそのエネルギーが強すぎて自分が消失、っていう映画です。いや、面白かったですよ。最初に期待していた、香水や当時のパリに関する文化史的な話は全然掘り下げられてはいませんでしたが、それでも主演のジャン=バティスト・グルヌイユことベン・ウィショーの演技はとてもよかったです。やっぱ鼻だわ。
何かに固執する様というのは、はたから見るとただでさえ異様なんですが、それが「匂い」であるという点をもって、今作はその異様さを殊更に際立てることに成功していると言えます。匂いをかぐ様を想像してみればいいのですが、この様子は極めて動物的で、その他の行為に比べてもあからさまに卑猥です。そして同時に、非常に滑稽です。*1


さて、冒頭にベン・ウィショーが、誤って殺してしまった少女の体を嗅ぐシーンがありますが、ここで彼は、少女を犯すということは決してしません。ただ、少女の匂いを嗅ぐ。全身の匂いを嗅いで、そしてそれを決して自分の手の平の中に留めておけないことに絶望する(そしてそれ以降の彼は匂いを留める方法を熱望するようになるのですが)。おそらくこのとき、彼の中にやってきては消えていく匂いに対する、定着、もしくは保存の衝動、欲望が生まれたはずですが、それが少女という存在に対するものなのか、それとも少女の匂いに対するものなのか。この両者は、彼にとって交換可能なものです。


結局のところ、今作において、匂いはそのまま存在として捉えられていて、だから、ベン・ウィショー自身が匂いを持たないことは彼自身が存在していないことを意味します。ただ、その代わり彼はあらゆるものの匂いを嗅ぐことができる。彼は無であるけれど、彼によって存在し始める匂いが無数にあるのです。彼の手によって得られると同時に失われていく、少女たちの匂いと命の等価交換はそれゆえ、彼が神のような位置にあることを予感させます。彼の手の中で、少女たちの存在は永遠に封じ込められる。存在しなかった匂いが、彼の手によって取り出され、実在し始める。


ですので、問題の全裸シーン含むクライマックスの展開はまあわかるのですが、ラストシーンが私にはやっぱりちょっと疑問です。食べるという行為は、やっぱり嗅ぐという行為とは別だと思う。匂う、嗅ぐという行為をとことん煮詰めるとどうなってしまうのか、そこが想像力の見せ所なんじゃないのか。ベン・ウィショーには最後まで、匂いというものの存在を体現して欲しかったなぁと、思う次第です。


あと今回、まったく別口で『トイレの文化史』という本を同時に読んでいたこともあり、パリの17、18世紀あたりはずいぶんぐちゃぐちゃとして汚かったんだなぁという感想を。いまでも(といってももう5年前です)パリって道ばたに人間だか犬のだかわからない糞が落ちていて、ぎょっとさせられるんですが。

トイレの文化史

トイレの文化史

*1:身近なひとは全編関根勤でリメイクしてほしいと言っていましたが、まさに紙一重です。