なんにもない世界

空想の中の世界滅亡は、いつも少し甘美な趣を持っています。
冷戦華やかなりし頃、世界滅亡時計というようなものがあり、世界が滅亡するまでをカウントしていたはずなのですが、ソ連邦崩壊後はとんとみなくなりました。その頃私は戦争ですべてがなくなってしまった世界を想像しては、密かにどきどきしていました。自分自身が消えて無くなるということではなく、むしろ、今あるものが完全に無に帰すということにまつわるある種のカタルシスであったのだろうと今では思います。続いているものがあるとき断絶するときに感じる、激しい衝撃は恐怖というよりむしろ、快感であるような気がしています。


どうも最近、目蓋が重くていけません。目を開けておくというのは、ずいぶん意志に左右されると思うのですが、してみると最近の私は起きようという意志に欠けるということなのでしょうか。