めがねっこ

めがねっこである。産まれてこのかたというわけではないが、中学一年からめがねっこである。当初こそめがねに対する過大なる期待を抱いていたが、もはや15年ちかく(年がばれますね)こやつと付き合っており、あまやかな幻想もついえてひさしい。大きな声では言えないが、コンタクトに浮気したこともあった。鼻に負荷のかからない有り様にココロ惹かれずにはいられなかったのだ。そして確かに、やつとの日々は美しい思い出なのである。ああ、若き日の過ちとおもって許してほしい。
しかしさすがに15年つきあい続けていると飽きてくる。というか飽きた。いくらこんにちのめがね界において豊富なヴァリエーションが楽しめるとはいえ、どうしたってその形態はかぎられているのである。グラッスィズなのである。まるがふたつついているのである、目の前に。もういてもたってもたえられない。わたしはコンタクトにもう一度アプローチするぞ、と今日もまた思うのである。
それなのに、どうしてもこの無骨なやつから離れられない。なぜだろう、うち捨てることに心が痛む。こんなにおかしなかたちなのに、こんなに顔の一部として違和感があるのに、やはりそれはわたしの一部だと主張してやまないのである。ああめがね、あなたはどうしてめがねなの。そして今日もコンタクトへのアプローチは失敗におわった。