ゴールデンウィークの映画、ラスト


これは面白かったです。あまりよく考えず、DVDの表紙から山の男たちのタフでハードな話かと思っていたのですが、予想とはだいぶ違う方向にタフでハードでした。(以下、内容の詳細を含みます)


知人間で話題になっていたという二人が最初に肌を重ねる(婉曲表現)シーンは私もびっくりした。ものすごくいやがっているのかと思ったら、いきなりズボンをおろすヒース・レジャー。えー、なんで!
でも後から振り返ると、そうじゃなきゃいけなかったのかもしれないと思えます。絶対に拒まなければいけない理由がヒース・レジャーにはあって、けれど押しつぶされそうなほどの衝動から逃げられない。
ところがそのときは本当に純粋なだけだった出来事が、後からいろいろ引きずり始める。歪んだ網の目を元に戻すことはできないわけです。そして彼らはその網の目の間でさまざまな方向へ引き裂かれそうになりながら、ずっと手を離さない。もう本当にしんどくて、嫌になりながら、それでも止める方がもっと辛いから止めることができない。もうかつての純粋なだけの関係などどこにもないのに、それでも止められない。変わってしまったことを受け入れて、それでも手を離さずにいることがどれほど大変なことかは、きっと誰もが知っているはずで、事実、ヒース・レジャーとミシェル・ウィリアムスとは一度繋いだ手を離してしまう。
そういう沢山のしんどさを経ても再びブロークバック・マウンテンに戻ってきてしまう二人の関係は絶望的でしかないようです。でもどれほど絶望的でも、戻ってくるという一点でのみ結びつけられ、それを繰り返すことでどうしようもなく強められ切り離すことすらできなくなってしまった関係に、私は嫉妬すら覚えました。
ジェイク・ギレンホールが望んでも叶えられなかった牧場生活や、ヒース・レジャーの仕事の失敗や、結婚生活の失敗、それらすべてがうまくいかなくても、二人が会うということだけが完璧に、美しい映像として切り取られていきます。いろんな犠牲の上に、美しいもの、求めているものが成り立つ。彼らはそこを手放せなかったし、手放せば、文字通りすべてを失ってしまう。どうしようもない、にっちもさっちもいかない、会うしかない、会わないという選択肢はない、でもそれは一番辛いことでもある、というしんどさ。「解放してくれ」という言葉は、後悔するということができないからなおさら、苦しい気持ちをすごく現しているようでした。(そうなるとジェイク・ギレンホールの手紙に対して「you bet」と答えるとき、降りられないゲームを始める合図をした相手に対する恨みを込めているようにも見えてきます。でもそれに乗ってしまうのはヒース・レジャーなのであり、結局彼はジェイク・ギレンホールを恨むことはできないのです。)
最後、ヒース・レジャーが「Jack, I swear.」とつぶやくシーン。結婚の誓いの文句なのだと思うのですが、「永遠に一緒だ」と訳されています。これがなー。結婚の誓いの文句だと思えば確かにそれで間違いじゃないし、その感じはとてもよく伝わるのですが、「I swear」ってもっといろんなことを意味しうると思うので、そう考えると難しい。ちなみに、ミシェル・ウィリアムスとの結婚式では「I swear」とは言ってない。
それにしてもヒース・レジャー、怖い役者でした。役に入ってしまう役者ってときどきいるんですが、この人はそういうタイプの役者なんではないか。私生活で役を引きずるような。あるいは役が抜けると脱力してしまうような。すでに故人ですが、彼の出演作をもっと見たいと思わされる演技でした。