つなげてこねてまぜまぜしてぽん

前回までのあらすじ:
何かの一部だと思えちゃえば楽だし、たぶんそれは真実に近いのだろうけど、私は私でありたいという欲求のようなものを持っているので、やっぱり怖いんだとasukakyokoは気がついた。


私は色々なことを繋げて論じられるようにならなければならない。それは、私のこのあり方に則すなら、不可避である。たとえば、建築について。たとえば、ジャコメッティについて。たとえば、恋愛について。一元論にしようというのではない。多元的なものに対する態度を一貫させようということだ*1。私と接触するバラバラとしたものたちを、「私と接触する」という点において同じものとみなすということ。私を出入りする様々なものを、「私を出入りする」という点で同列に扱うということ。網の目をたぐり寄せるようにして、あるいは網の目になって、網の目自身を考察するということ。
”私”の痕跡は、その仕方において残される。んだったらいいな。


ええと、だから端的に言うと、私の探求の対象は私だということ。私は私にしか興味がない。
この言い方はとても閉じているのだけど、本当は(ホントウハ!?)閉じているはずもなくて、だから、それを網の目という言い方で表現した。だからといってニューラルネットワークとかを想像しているのでもないのですけど。まぁ「そういうようなもの」なのだろうとは思うわけですけど。似てるっていうこと。


芸術、に憧れる。
身体で、筆で、端的に自らの有り様を現出する芸術に、憧れる。舞台に立ったときの血が逆流するような感覚も、筆が紙の上を走るときの感触も、切実で、切実すぎるので私はそこにいられなかった。音楽だけは唯一私を忘れさせるのだけれど、それも、やがて元に戻ってしまうので、そう、元に戻るという感覚が、嫌だったので、自分ではやれなくなった。そうして残されたのが、…というわけです。

*1:まぁ、それをある種の一元論と呼ぶこともできるのだろうけど。