language and worldview: the case for liguistic relativity

Culture and Psychology: People Around the World


Matsumoto, David, 2000, Culture and Psychology: People around the world,pp.323-


 言語と思考過程との関わりは、最も重要で、かつ長い間言語や行動の研究において議論されきたものの一つである。この関わりはとりわけ異文化研究にとって重要である。なぜなら、それぞれの文化は、表現のための道具として与えられた言語と結びつけられているからである。文化は言語にどのように影響を与えるのか。そして、言語は文化にどのように影響を与えるのか。


■サピア=ウォーフ仮説
 言語の関連性としても言及される’サピア=ウォーフ仮説’は、異なる言語の話し手は異なるように考え、かつ彼らは言語における差異の故にそうしている、と提唱する。なぜなら、異なる文化は概して異なる言語を持っており、サピア=ウォーフ仮説は、言語の機能としての思考や行動において、文化の差異を理解するためには特に重要だからである。
 この問題をさらに考察する前に少し、はっきりと、この論点は何についてのものであるのか、そしてその潜在的な重要性はなんであったかを、思い起こしておこう。もしサピア=ウォーフ仮説が正しいのなら、異なる文化の人々は異なって考えているということを示す。まさに彼らの言語の文字通りの本質、構造、そして機能によって。思考過程、連想、世界の解釈の仕方は--私たちが知覚する、同じ出来事でさえ--異なるだろう。なぜなら彼らは異なる言語を話しているのであり、この言語が、彼らの思考パターンを形作ることを手助けしてきたからである。この仮説はまた、一つ以上の言語を話す人々は、異なる言語を話す時、実際に異なる思考パターンを持つのかもしれない、ということも示唆する。
 1950年代にEdward Sapir と Benjamin Whorfが最初にその仮説を発表してから、数多くの研究が言語-認知問題を考察してきた。サピア=ウォーフ仮説を支持する相当数の証拠がある一方、そのほかの証拠はこの仮説の妥当性に疑問を呈している。


■サピア=ウォーフ仮説を支持する初期の研究
・対象の分類(object classification)
 もっとも初期の言語研究では、CarrollとCasagrande(1958)がナヴァホ語と英語の話し手を比較した。彼らはナヴァホ語の形の分類のシステムと、子供がものを分類するときに形に対して払う注意の度合いとの関連を調べた。この章のはじめの方で触れられた日本語に似て、ナヴァホ語は、取り扱うことを表すある動詞(たとえば”とりあげる(pick up)”とか”落とす(drop)”とか)が、どのような種類のものが扱われているのかに依存した特別な言語形式を必要とするという、興味深い文法的な特徴を持っている。全部で11におよぶそのような言語形式は、異なる形--丸みのある球形のもの、丸みのある薄ぺらいもの、長くて可塑的なもの、などなどを説明するものなのである。
 ナヴァホ語におけるこの言語的特徴は、英語に比べてより複雑なわけでは決してない。CarrolとCasagrande(1958)はそのような言語的特徴は認知過程に影響を与える中で一つの役割を演じてきたのかもしれない、とした。実験の中で、彼らはどれくらいの頻度で子供達が物質の形、形態、またはタイプをものを分類するのに用いるのかを知るために、ナヴァホ語が主要語の子供と英語が主要語の子供とを比較した。ナヴァホ語が主要言語である子供たちは示唆的に、形によって分類する傾向が英語が主要言語の子供達よりも強かった。同じ研究の中で、CarrolとCasagrande(1958)はまた、低所得層のアメリカン・アフリカンで英語を話す子供達のふるまいは、ヨーロピアン・アメリカンの子供達と似ている、とも報告した。この発見は特に重要である。なぜならアフリカン・アメリカンの子供達は、ヨーロピアン・アメリカンの子供達と違って、ブロックやform-boardゲームなどのおもちゃに慣れ親しんではいなかったからである。
 この研究の結果は--初期に再検討された、文化と言語の語彙の関係、文化と語用論の間の関係を確認した観察に加えて--私たちが話す言語は私たちのもつ思考の種類に影響するというアイデアにとって、早くも支持をを引き出している。つまり、言語は、媒体の役目を演じる中で、子供達が彼らの世界の側面を想像する方法を決定するのを手助けする。言語は、わたしたちの思考の仕方に影響を与える、少なくともひとつの要因であるようだ。
(予想以上にめんどくさかった;…以下は適当に省略しつついきます)
・色彩の言語(the language of color)
色の認識に関する研究…
Gleason(1961): 自然にある色の連続的なグラデーションは、言語において別々のカテゴリーの連続によって表象される。スペクトルにおいても、その仕方において色の区別を強いただろう人間の知覚においても固有なものは一つもない。その特有な区別の方法は、英語の構造の一部分である。
言語による色のカテゴライズ、名付け方に関する研究…
Brown and Lenneberg(1954): 色のコーダビリティと、思い出せた色の正確さとは、ポジティヴな関係にある。codabilityとは、英語の話し手が、与えられた色の名前、名前の長さ、色に名前を付けるために必要とする時間、にどれだけ適切に同意するか。


■サピア=ウォーフ仮説に挑戦する初期の研究
Berlin and Kay(1969): 78の言語を調査し、11の基本的な色のterm formを見つけた。英語やドイツ語は11の形式すべてを使っていた。ダニ語は2つ。さらに、言語が、発展的段階の中でこのような普遍的カテゴリーを記号化していることに、彼らは気がついた。

  • すべての言語は黒と白ということばを持つ。
  • その言語が色に関することばを3つ含むならば、赤という言葉も含んでいる。
  • 4つなら、緑か黄色も含む(両方はない)。
  • 5つなら、緑と黄色の両方を含む
  • 6つなら、青も含む
  • 7つなら、茶色も含む
  • 8かそれ以上なら、紫、ピンク、オレンジ、グレイ、もしくはこれらの組み合わせを含む

Berlin and Kay(1969): 20の言語における、色のことばの分布を調査。国際大学の外国人の学生に、まず「基本的」な色を表すことばを自分の母国語で書き出すように指示し、書き出した基本的な色のことばのもっとも良い例、もしくは典型的な例を色ガラスのチップの列から特定するように指示した。ここから、Berlin and Kayはどんな言語にも、基本的な色のことばの数には限界があることを発見。また、もっとも良い例として選ばれた色ガラスのチップは、どの言語を用いる学生も同じようなものを選んだことがわかった(focal pointsと呼ばれるものに収束する)。異なる文化の人々は、言語において根本的な違いを持ちながら、同じ仕方で色を受け取っていることを示唆する。
Rosch: Berlin and Kayの発見を確証する実験として、英語とダニ語の話し手の比較、ダニ語と記憶との関連の調査を行った。そして、ダニ語には色を表すことばとして「mili」と「mola」というふたつしかないが、もし、サピア=ウォーフ仮説を支持する人々の言うことが正しいのだとしたら、ダニ語を話す人々は、ダニ語に色彩を表す豊かな語彙がないゆえに、色を記憶したり識別したりする能力を制限されていることになると主張。
Heider and Oliver(1972): ダニ語の話し手は、英語の話し手と同じくらい色のカテゴリーを混同しないこと、記憶課題においても英語の話し手と変わりなく振る舞うことを発見。